「ミラベルと魔法だらけの家」+「takk氏考察記事」の読後感想

プロフィール画像

このブログサイト(2nd.vivaldi.net)で最後までスクロールすると、現在ブログ効果推定用ツイートが表示されます。

ぜひツイートを表示してくださいね。「いいね!」していなかったら、して頂けると嬉しいです。

今回は以前から気になっていた、takk氏によるnote考察記事を読みながら、いろいろと書いていきます。


てかnoteってVivaldiの日本チームもブログ書いてるよね。

takk氏の記事、まず前提として、完全オンラインでの会話では批判はしません。なので、以下褒めたりとかだけ。

全体として、オンライン記事的に分かりやすい出典の出し方で、見やすい記事です。もしや、ライターさん?

マドリガル家の記事まで長いよ、この記事。普通にディズニープリンセス記事として面白いかも。

記事はこちらからチェック!

てかプリンセスとは

てかプリンセスとは。前提としてプリンセスの意味を確認。プリンセスは王家・皇族の女性で、かつ現在王位についていない者のことを言う。王女と同義(日本の皇室は除く?)。

この時点でモアナの立場がプリンセスという意味で揺らぐ。

モアナはデミ神(マウイ)に「プリンセス」って言われちゃっているけど、自身で否定しているし、彼女は村長の娘でもある。

将来はコミュニティのリーダーになるようだけど。

ディズニーが歴史的にプリンセスを扱うようになったのはいいとして、それがどうしても伝わらない言語圏(この場合はオーストロネシア地域)を扱いたくなったときに困ったというのが本音な気がする。でも、困るくらい色んな地域に興味があるということだろう。豊かな人材を集めるということは、それだけでエネルギー革命くらいインパクトがあるんじゃなかか。

プリンセスという意味では花木兰(ムーラン)がプリンセスじゃないって指摘、ハットさせられたなぁ。そりゃそうだ。

女性主人公作品についての指摘もあった。記事とは直接関係ないが、私は3DCGヒロインものが好きだ。

アナ雪(Frost)とEncanto、プリンセスとEncantoの切り口で語られることも多いようだが、私は南米コロンビアのヒロインで楽しいミュージカルという時点で映画館で観ること決定だった。(映画館で2回観た。)

さてプリンセスの話だけど、私のクニの国王であられる(あられた)両陛下はふたりとも王位経験者でプリンセスとは呼べないとハッキリ仰る方々もいる。そうかもしれない。

なんていうの、「プリンセス」という言葉だと若いイメージがして、威厳に関わるのだ。

王女様は3年間を通じて、お姉様・クリストフに囲まれながら成長され、そして王位を継げる者となった。本当に素晴らしいことだ。

さて、私が「彼女はプリンセスか?」問題で感じるのはこのくらいかな。Vanelopeは誰から王位を継いだのか分からないけど、王女は王女だ。

ところで記事は論文か?

なんていうの、ガチの講義みたいな文章でしたね。なんかドキドキしながら見ちゃった。

クリエイターが世界の需要を的確に読み取り、商品戦略に活かすことはとても難しいのだろうけどtakk氏はその辺りに関しても考察があるのかな。

メガネのイメージを変えたり、女の子のイメージを壊しに行ったり。ディズニーも色々やらなきゃいけないのかも。

個人的にはコロンビアだろうと日本だろうと既に変わっている価値観なのかもしれないと思う。やっとそれに芸術が追いついてきただけなのだ(?)。

でも、「可愛い」ももちろんいいよね。ほんと、いろいろ表現を詰め込んでしかも正しく伝えるって難しい。まあ、誤解されても致命的でなければいいのかな。それが芸術とか自然言語とかいったものが内包する性質なのかも。

Será inspiración

これはtakk氏の記事の感想というより私の言いたいことなのだが、イサベラ(とミラベル)の歌うInspiraciónが好きだ。

Cactusから影響を受けて、変わっていく(正確にはこれから変わる)イサベラの姿が描かれている。

個人的にはSerás inspiraciónな2人がみたい!(そして、描きたい!だってほら、魔法のハグ!)けれど、自己の内省を物語化するという意味でSerá inpiraciónで良かったのではないかと思う次第です。

(takk氏記事) >> ミラベルの…悪影響?

ね、Una malá infuencia。

てかtakk氏の記事に載ってる頭ボサボサのメリダみたいな王女様、最高級に可愛い。

記事の共同体についての話

正直ここが一番のみその話なのかもしれない。一番書きにくいけど。

ここはあえて、作品の話ではなくて共同体について書こう。

共同体が国家の性質を帯びてくると、どうしても人々は特定の凄い(正確には凄そうな)人物に運営を何でもかんでもたよろうとする。

アナと雪の女王では、小説やアナ雪2でアナが必死にその重荷を下ろそうと画策する。ちなみに19世紀後半のヨーロッパは20代で王位を継ぐことは特別なことではなかったかもしれない。ほら、ビクトリア女王とか10代じゃなかったっけ?

(しかし、アナはそのまま結局自分が王位についたりする。ちなみにこれは彼女にはとってはギフト・プレゼントだ。監督たちの話から察するに。)

いずれにしても、ひとりの人間に1億人とか10億人とかでなくても、例え数百人のものでも責任を負わせるのは構成メンバーのあまりの無責任というものだろう。

企業の経営陣や株主のようにメンバーを増やしたり、専門分野ごとに責任を分散させたり。誰かに何かを期待するのではなく、応援したり。

それが、きっとメンバーにできることだ。

それに、もっと重要だと思うのは、我々の生活は恐らくリーダーたちによって決められているわけではないということだ。

「いやいや、政治が我々の生活を悪くしているのだ!」と思うひともいると思うけど。

結局一部のリーダーたちにいいこと悪いことすべて責任転嫁するから、彼・彼女に期待して苦しくなる。

イサベラみたいにね。

映画の感想のひとこと。

6年って最高だ!素晴らしい。いいもの作りにはもはや調査段階から時間がかかってしまうって悩みものだ。

求心力も予算もふんだんに確保しなくてはならない。

おわり。

Comment

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です